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2010/03/08

長野市民会館バックヤードツアー

ボンクラ主催の長野市民会館バックヤードツアー無事終了しました。
参加してくださった方、お手伝いしてくださったスタッフ、長野市庶務課と運営監理団体のみなさま、資料を提供してくださった佐藤総合計画さん、本当にありがとうございました。
以下当日配布した資料より。
塔というものの発生は道しるべなんです。どこにだってその当時の精神支配の建築はみな塔を持っています。狭い意味の合理主義で考えたんじゃ、塔というものは無用の長物と見えてくる。もっと広い、深い精神性からみますと、ああいうものが本能的に欲しいんですね。キリスト教の寺院の塔が町の通りの突き当たりにスッと見えるような、スカイラインのたのしさというようなものが近代の都市には欠けてると思うんです。ですからつとめて都市に植えつけていきたい。
(佐藤武夫『火燈窓』 相模書房 1969年)
長野市民会館・市民広場・市庁舎の一連の建築のうち、このほど市民会館が竣工、4月初旬華々しく開場式が行われた。そのとき市民全体に解放されたこの会館は人びとの群れで一杯であった。ホワイエに、ホールに、そして楽屋に舞台に、まるで東京にいるようだと異口同音の言葉がいたるところで聞かれた。  
 (宮本忠長/現宮本忠長建築設計事務所所長 1961年)
50年前、長野市民会館は市政60周年記念事業のひとつとして、全国的な催しの対応と文化的コミュニティーの場として、建築家・佐藤武夫によって設計されました。
当時の建設に携わった方々の言葉は、新しい時代における地方都市の多目的ホールに対する期待感であふれています。そこには単にハコとして「性能」を造りあげただけでなく、「想い」を詰めていたことがうかがえます。
建設当時、最新最良と思われた知識や設備は、今となっては古くて使いづらいものとされています。でも、それは私たちの生活水準や時代が求めるものの変化が原因なのであって、市民会館が使いづらく変化したのではありません。
是非、このボンクラの散歩−建築編−の参加をきっかけに、まちのなかにある建物に思いをめぐらせてみてください。人は何を考え、何を願い、その建物をつくったのか。人は、その建物でどんな営みを紡いできたのか。それがイメージできた時、たとえ建物がなくなっても、きっと以前よりもまちを身近に感じることができるでしょう。
まずは知ること。そしてイメージすること。
それが、古いものを壊して新しいものをつくる前に、やらなければならないことだとボンクラは考えます。

見学会で展示した資料は、しばらくの間KANEMATSUでも展示しようと思いますので、ツアーに参加できなかったけど興味のある方は是非いらしてください。

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