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2008/08/01

“和”について考える


和して同ぜず(和而不同)
この言葉は僕が中学の時の学級目標に掲げられていた言葉です。
その頃は「仲良くしても同じにはならない」といった意味として、“和”とは自分の個性を抑えて全体を丸く収めること・・・ではない。ということを学んでいたと思います。
でも、現代社会の“和”のイメージはどうだろうか。和を以て貴しとなすの“和”のような、衝突や対立を避ける文化のほうがはるかに強く醸成されているような気がする。
ここに、大多数の日本人が持つ“和”に対するイメージの誤解があると思う。
和するとは、一人一人がまず自らの個性を最大限に発揮して、自立すること。つまり一人一人が大きな存在となること、その上でそうした者達が互いに和することを意味するのだと思うし、そうした“和”の精神が日本そのものを指している言葉であるとも思っている。
一方で、建築やインテリアに「和風」という言葉を使うことがある。おかしな言葉だが「~風」ということは“和”のようなニセモノであることを自ら宣言しているような言葉だ。
~風というからにはベースは“和”ではないのである。「洋風」に対して「和風」なのだろうが、そもそも僕たちの立ち位置はどこなのさ!と問いたくもなる。自分の立脚点に自信がもてないが故の~風なのかもしれない。
どちらの話も、現代の日本人が持つ“和”に対するイメージが希薄であることが原因だ。
つまり様式概念化してしまった和風は“和”ではなく、“和”はひとつのスタイルを指し示すものではないと思っている。スタイルとしての和風はつまらないし、僕たちには共感できるものが少ないのだ。それよりも多様な個性を内包しながら各々が他者と協調し大きく和する(大和)ことこそが日本人だからできる、日本を表現する方法のひとつではなかろうか。
もっと“和”な精神をもって建築をつくろう!
写真は、いろいろな要素を同一環境に併存させた「THE KAWABUN NAGOYA」

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