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2008/08/19

百貨店と遊園地とお稲荷さん


僕は前事務所在籍中、問御所のそごう跡地の再開発に一担当者として関わっていました。現在のTOiGOです。
そごう(丸光)建物解体撤去から現在のTOiGOが完成するまでの一部始終を見ることとなり、長野の中心市街地の大きな転換点を体感することにもなりました。
資料によると、解体されたそごう(丸光)デパートは昭和32年に4階建ての百貨店として開店し、34年に5~7階を増床した建物で、そのころには既に、屋上に遊園地が常設されていたそうです。1970年生まれの僕にとっても、子供のころの思い出として残る丸光デパートの屋上遊園地は子供達に大人気でした。
そして、僅かに残る記憶。否、忘れていた子供の頃の大きな心の動きを、この再開発の仕事は思い出させてくれました。
そごう(丸光)屋上に祀られていた「お稲荷さん」です。
デパートの屋上にお稲荷さんがあるのは、商売繁盛、家内安全を祈願する屋敷神を祀る伝統に則したもので何も特別な事ではありません。しかし、子供心に近代的なデパートの屋上、しかも遊園地の一角にあるお稲荷さんのことを、「遊園地」と「稲荷神社」という対比的なイメージから、印象的なシーンとして今でも思い出すことができるのです。
残念ながら、現在このお稲荷さんは、建物撤去の際に魂抜きのお祓いをしていただいて、この再開発事業地内で、皆の目に触れることができる場所に屋敷神はいません。(TOiGOに入る各テナントや事業者が祀る神様はいるのかもしれませんが。)
僕は、特別な宗教心や信仰心があるわけではありません。また、古き良き時代の…等というノスタルジックな気持ちでもありません。でも、なんとなくこのプロジェクトに関わっている間中、心のどこかで気にかかる事柄でもありました。
それは、初めて経験する“再開発の現場”が都市の多様な考え方や思いを画一化する作業をしていくように思えたからでもあります。これは、プロジェクトに対する批判ではなく、そうせざるを得ない状況も多々あることで仕方がないことだと思っています。
でも、この地が、古今東西あらゆるものが集まるまさに“百貨店”であり、「遊園地」と「お稲荷さん」が当たり前のように共存する懐の深さを兼ね備えていたことを忘れてはいけないと思うのです。子供だった僕の心にも魅力のあるこの場所は、どんな思いも受け入れてもらえそうな雰囲気を持っていました。一見すると場違いな屋上の稲荷神社は、その象徴でもあったのです。
この再開発とほぼ同時期、当時僕はもうひとつのプロジェクトに携わっていました。大門町の藤屋旅館のリニューアルプロジェクト、現在のTHE FUJIYA GOHONJINです。この大門横町をも視野に入れた老舗旅館のリニューアルとTOiGOを巡る再開発のふたつの案件を担当しながら、時には同じ日に両方の打ち合わせを行ったりもしていました。
いわゆる、まちづくりにはいろいろな方法があるのでしょう。
僕には、まちづくりを語れるほどの知識も実績もあまりないけれど、このふたつのプロジェクトほど対照的なものはありませんでした。どちらも、事業としての成功は企業にとって大きな願いであるし、まちを元気にしたいという気持ちは同じベクトルのはずですが、アプローチは全てが真逆でした。どちらが良い悪いといった話ではなく、同じ時代、同じ地域のまちづくりの一端を担うプロジェクトの意思決定のプロセスが、これ程までに違うものかと単純に驚き、戸惑ったものでした。
TOiGOがオープンして2年が経とうとしています。
最近になって、TOiGO2階でアーキテクトカフェなるものをつくろうとしている美谷島さんとTOiGOについて話をする機会を得て、あらためてそんな事を思い出しました。成り行きで少しお手伝いもすることにもなりましたが、もう一度いろいろなことを考えるキッカケにもなりそうです。

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