時間を奪う
昨日の続き。
ところで経営学部の経営学科を専攻する娘に、どんな卒業論文を書いたのか見せてよ、とお願いしたら送られてきました。
「サブスクリプション業界におけるプラットフォーム戦略」
ふむふむ、専門外でよく分からないですが、とっつきやすそうな題材です。
Netflixが、他の動画配信サービスを競合相手として考えているわけではなく、テレビやビデオゲームとの余暇時間の奪い合いを念頭に戦略を打っているという事も興味深い。
NetflixのCEOリード・ヘイスティングは「最大の敵は睡魔だ」とも言っているらしい。
ひとしく全ての人に同じだけ与えられている時間をどれだけ奪えるか。
すごい発想です。たしかに携帯ゲーム会社の代表も、以前同じような事をおっしゃっていたことを思い出しました。(ゲームに費やす時間に対する対価をいただいている・・・というような表現だったと思う。)
この、「時間」を売る・買うという感覚。
自分としては、「時間」を奪われた上に、何故お金を支払われなければならならのか・・・などと考えてしまうが、その感覚からして、もう時代遅れなのだろうか。
「時間を奪う」なんて、まるでミヒャエル・エンデの『モモ』みたいな話だ。
振り返って、建築設計事務所がしている業務とはサービスとは何なのか。
「時間」の売り買いとして考えると、本来クライアントが費やさなければならない時間を代行しているのが建築設計事務所の仕事。例えば住宅を設計するという膨大な時間を、クライアントに与えることの対価が設計料だと言えます。
さて、クライアントはそうして対価を払う事で得た「時間」を、動画配信サービスやゲームに費やしているのである。
我々が生み出したであろうクライアントの時間が、動画配信サービスやゲームにどんどん奪われているという構図は、考えてもみなかったが、どうりで、自分が動画配信サービスを見たりゲームをしたりする時間がないわけだと腑に落ちました。